教育事業

教育者としての石田淳

教育者としての石田淳は、「PersonalSTUDY」(東京都)、「個人指導専門塾」(愛知県・岐阜県)という学習塾を展開しています。 小中学生を対象に、個別指導で一人ひとりのニーズに合わせた指導を行っています。子どもたちに具体的に学習の仕方を提示していくこと(※行動科学ティーチング)で自ら学ぶ力、問題を解決できる力を身につけさせていくことを目的として指導を行っています。

学習塾を創業するに至った経緯

彼が学習塾を創業するに至った経緯は、1991年にさかのぼります。ちょうど長野オリンピックの年、彼は上場企業である大手学習塾に勤めていましたが、突然会社を辞めました。そして少子化で厳しい業界になるのを分かっていながら、お金もない、コネもない状態で学習塾を創業したのです。そのきっかけとなったのは、彼の父が教育者であったことが大きく、大学で社会福祉の研究をしていた学者で、不治の病で闘病している人たちのために社会福祉の分野で人生を捧げている父の姿を見て、「これまで培ってきた教育分野で多くの人に役に立ちたい」と思ったそうです。

また創業して間もなく他界した父が残した書物の中にあったある1冊の本で、彼の考えは大きく変わりました。箋のついたページには、ある15歳の少年の詩が載っていました。 僕は 死ぬ前に何かひとつ すばらしいことをしたい。 詩を書いて残す 小説も 絵も 僕にできることを 何かひとつ いずれ僕も死ぬが 詩や小説や絵は死なずに生きる 僕は 筋肉の力が弱くても 体が弱くても 人生をすばらしく生きるんだ (以下略) ※『車椅子の青春』 (国立西多賀病院詩集編集委員会編、エール出版刊)より抜粋 この詩の作者、八木和宣君は筋ジストロフィー症で高校生になる前にこの詩を残し、中学3年生の11月に亡くなりました。この詩をきっかけに、「父は生涯を通じて何を目指していたのか、自分はいったい何ができるのか、子どもたちに何を伝えるべきか・・・」と真剣に考えるようになり、ひとつの結論に至りました。それは、子どもが思ったようにテストの点数がとれない:宿題がなかなかできない・言うことを聞かない…それは、実はそれほど大きな問題ではなく、大切なのは「今、その子が前の状態より少しでも進歩しているか」「その前向きな姿勢を私たちが見逃さずに発見することができているか」であるということです。この詩を読んで、父と同じ様にさらに教育という世界で生きたいと強く思い、上場企業を辞め、子どもたちと、子どもたちを支える親御さんのために理想の学習塾を創ることを目指したのです。

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